2017/12/16

月桃紙の話、及び訂正

 沖縄の、ショウガ科の植物に「月桃(げっとう)」というのがあり、その茎皮から作られた「月桃紙」という紙は、実に気持ちよく折れるものです。少し黄色味を帯びたものですが、その風合もとても感じが良いものです。
 沖縄におりがみのサークルを作られ、私を沖縄にお呼びくださった島袋保子さんが、この素敵な紙をたくさんプレゼントしてくださり、感激して楽しませていただきました。
 下にその頃折った「雄ジカ」と共にその月桃紙をお見せします。こんな手の込んだ作例なのに、とても気持ちよく楽に折れて、何年経っても形がしっかりと保たれていて嬉しいです。

 なおインターネットで見たら、その葉には独特の芳香があり、防虫、防カビの効果があるので、この葉で餅を包んだ(ムーチー)という日持ちする食品もあるそうです。
 また種子を煎じて飲むと(健胃・整腸)の作用があるとか。つまり実に有益な植物なんですね。
 以前テレビニュースで、なにかの工事により海に土砂が流れ込み、サンゴに被害が出たが、そういった事故の再発防止のためにも月桃を植えて、土砂の流出を防ぐことが何より有効だと、識者の提言があったと聞きました。

 ああそれから、この月桃の茎からは(縄)も作られ、収穫したサトウキビをそれで縛ったとも! 何と素晴らしい植物でしょう。
 加えてその「月桃」の名も素敵ですね。なお島袋さんからは、この月桃の枝に付いた実も頂きましたが、これまたなんとも可愛い(ミニチュアの和菓子?みたいな形)なのでした。
 まあ頂いて大分年月が経ち、色が枯れてしまいましたので、写真紹介はしませんが、玄関に飾ってあり今でもその不思議で楽しい形を折々眺めています。


「月桃紙」は、壁紙や障子紙などにも利用され、防虫防カビ効果を発揮するそうだ。


最後の「大訂正!」

 このブログの始めの方のエッセイ「二つのお話」の中で、「天武天皇が“ヤマト”の国名をアラム語?により定めた?」…みたいな書き方をしてしまっています。そんなふうに書いたら、それこそ作家加治将一氏に失礼で申し訳ないことになってしまう!
 今年の〆括りに全体をよく読み直してみて、今にしてはっと気付いたのです! とにかくそんなふうに読めてしまう文章を書いていた!

 多くの人が知っているように、「日本書紀」の編纂を命じたのが天武天皇で、そのことから我が国の国名が(倭)から(日本)となったとは常識だ。 日本書紀という国書は、(ニホン書紀)で(ニッポン書紀)とはふつう読まない。それにこれが倭国の言葉なら、(日本)の文字は(ヒホン、ヒモト)か(ニチホン、ニチモト)なんても読める!?

 ところが加治氏の慧眼だと、これらは倭国の言葉ではないようで、アラム語と、イスラエルの人の名まえではなかろうか?…そして推論は進み、(ニッポン)となる! 

 先ほど言ったような、これまで教わって来た学習に照らすなら、(倭)を(ヤマト)と読ませたり、元明天皇が(ヤマト)には(大和)の字を当てたというような話も、そもそもするりとは飲み込めないで来た。 私がつい誤記してしまったのは、(日本)の文字をも(ヤマト)と読むよう教わって来たことも原因していたのかも知れない。
 ほら(日本武尊)は(ヤマトタケルノミコト)ですよね。そして古事記での(ヤマトタケルノミコト)は(倭建命)と当て字されているそうだ。
 つまりは(日本)=(倭)=(ヤマト)となっちゃうのではありませんか? すると(ワ)はどこへ行った?

 また私は、天智天皇(中大兄皇子)と天武天皇(大海人皇子)は(兄弟)と教わって来た。ところがそれがまったくの他人!と聞いたら、?!?だ。 頭はこんがらがって、…かくて混乱からあんな文章となったようだ。

 天智天皇の海外遠征(白村江)の戦いのことは、今では素直に(ハクソンコウ)と読んでいるのに、私の頃は(ハクスキノエ)というように読まされた。…一体これ、どこの言葉? 歴史教育というのには、なんだかすごく欺瞞があったように思えてならない。…加治氏の慧眼は、その欺瞞の発端は、天武天皇の遠大な計略が敷き詰められた「日本書紀」及び「古事記」に始まるのだ、というように指摘をしておられるようだ。

 ともかくもう言い訳はよそう。いづれにせよ、加治氏が言ってもいないことを、勝手に言い換えてしまったような文章で誤解を与えたことをお詫びし、撤回しよう。

 それにしても(ワ国)と言うと親しめるが、(ヤマト国)となると謎だらけだ。(弥生人)は(縄文人)よりずっと複雑な心の持ち主のようだ。とても縄文人の進化形が弥生人とは信じられない。つまるところ、二者は同一民族とは思われない。…そんなふうに思うとき、…ボートピープル(渡来人)=弥生人=古代日本人と考えたなら、はて、縄文人はどこへ行った? 各地に発生した(豪族)とは何人だ?

 確かに文明は弥生人によって飛躍されて、国家という形態が諸外国と並ぶように整えられたとは言えるだろうが、その結果、階級意識や権力闘争だのが吹き出して、支配被支配や貧富の格差が生み出されたのだ。しかしそんなもの、縄文人の心にはまるで存在しなかった欲望ではないだろうか。
 だがどうあがこうとも、時代をはるか昔に戻すことなど出来はしない。弥生人が持って来てくれた(鉄)や(米)や、そして(文字)を捨てることなど出来よう筈もない。

(日本)や(日本人)のことについて加治将一氏が言っておられたのは、…あゝまた間違った記述となりそうで怖いので、改めて「失われたミカドの秘紋 祥伝社文庫」をお勧めすることで止めておきましょう。同氏の著作物は、いずれも見事で痛快な(歴史ミステリーの解答の書)だ!

 なお、初めて(貨幣)を造ったのも、(天皇)の称号を自身に付けたのも天武天皇だそうだ。だから斉明天皇も、そして天智天皇も弘文天皇も、(天皇)とは呼べなく(女王か王かオオキミ)だ。…それとも(ミカド)か?
 いやはや、かくてともかく私のファンタジーではよく解らない史実なんか気にせず、もうはっきりと妄想の中に留まって、一人楽しんで書くことにしよう。


 もう一つ訂正、というより新知識。「二人の天才を思い、ため息をつく」の項で紹介した(ヒメツルソバ)という植物は、春から初夏の開花の他、初秋からも開花するようで、12月の今現在、可愛い花をいっぱいに開花させている! つまり年がら年中元気な植物のようだ! (シロツメクサ)も年に2度開花するようだ。自然のなんと逞しい生命力!

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