2021/07/30

ざぶとん折り物語 付記

前川淳(Mr.Maekawa Jun)さんの「無限折り」

 4月に前項の「クレオパトラのプロフィール」が、図らずも出来てしまったことからこれはもうドヤ顔にて自慢しなくてはならない!とて再開した当ブログですが、いわば(卒業制作)を終えてしまったら、さて? もう思い出を語るしかない?

 で、今更私が語らなくても、皆さんの方がずっとよくご存知の前川さんの、私だけの思い出を記してみよう。

 彼の作品集を最初に手掛けさせてもらったことで、以後の私のおりがみ観は大きく変えられるところとなった。そしてそこからおりがみ世界全体の技術がレベルアップしたと確信する。

 彼のまず第一の功績は「かどを、いくつでも、どこにでも自由に折り出せる手法、すなわち人の言うところの(前川おりがみ原子論)の発見だ。すごい!

 この発見の結果おりがみ造形のくふうが、試行錯誤のものから(設計するもの)へと発展したわけです。

 しかし試行錯誤のくふうしか出来ない私には、(小声で正直に言うと)、私はこの理論あまり使えません。この設計理論を紙の上に折り線として具体的に描き出すには、やっぱりパソコンが必要となるようですが、そもそもパソコンはいつまでたっても未熟で、もっぱらワープロとEメールとして用いるばかりなんです。

 さてここで違う話題を紹介します。 おりがみと双璧をなす伝承の遊び(あやとり)の研究でも著名であられた早稲田大学の数学の先生、野口宏(Prof.Noguchi Hirosi)教授が、あるとき面白い話をしてくださった。

『あやとりに(はしご)というのがあるでしょう。3段、4段、5段、と増やして行くのを、試行錯誤で楽しんで来たのですが、一人の東大生がそれを数式化して、何段でも自由自在に取れて、しかもそのクロス部分のひもの(上下関係)も自由にした! だから今は(はしご)をしない人が増えましたよ。』

 おっとごめん。前川さんの発見はこれとは違い、かどの数を望みのまま折り出せる技術として広く普及されていて、現代おりがみの(基礎理論)の一つですね。

 その点東大生のやったのは、あやとり作品の一つの広がりを解明しただけで、あやとり全体の(基礎理論)とは違うだろうと想像している。だから要するに(前川原子論)は、私の試行錯誤おりがみにとり、意欲を損なうようなものではまったくないのですね。(いえね、この頃“東大”の語が氾濫しているので、ちょっと嫌味を言いたくなっただけですよ。)

 それにしても、優れた頭脳から「折り線交点の定理」とか「変化おりづるの処方」…、など明快な基本事項にすごい発見をたくさんしてくれていますね。

 でも私がもっとも感激した発見は「無限折り(この“無限”という言葉も、今すごく流行っていませんか?)」です。

 1905年に、インドの T. スンダラ・ロウ(T.Sundara Row)とおっしゃる数学の先生が、「おりがみで幾何学演習(Geometric Exerscise in Paper Folding)」という書を出版された。 

 この本のことは、伏見廉治(Prof.Hushimi Kouji)先生が、満枝(Mrs.Hushimi Mitue)夫人との共著で著された「折り紙の幾何学 日本評論社 1979年刊」の中で紹介をされていて知ったのです。

 伏見先生は、ロウさんの「正5角形の作図法」の改良ということでの紹介でしたが、私が心惹かれたのは、ざぶとん折りを(面積を半分にする折り)として取り上げ、そのことで(数列の和)という数理を教えている点でした。

 すなわち折る前の正方形の面積を1とすると、ざぶとん折り1回するとは面積を2分の1、さらに続けて2回すると4分の1=2の二乗分の1、3回は2の三乗分の1、…それをn回続けて2のn乗分の1、でその(和)を求めると、それは最初の紙の大きさ(1)へと行き着くわけで、答えは(1に収束)となるわけです。

 そこでそんな視点を実感してみたいとてやってみると、15cmのおりがみでは、5、6回で厚くなって折れない! それは完全に(紙くず製造)だ。

 ところが前川視点では、これを(直角二等辺三角形の折り)に変えることで、そう!(無限折り)になるのだ。お見事! そしてつくば大のおりがみ教室で彼の曰く『死ぬまで折り続けてください。』

 確かにそれは理屈の上では無限に折り続けられる。まあともかく実際にこれを12、3回試みたものは、造形的にも美しい。私はこの前川無限折りをお借りして、この造形美を立体化してみた。そしてパウロ・ムラチンヨさんのご好意によりドイツから出版させてもらうことになった「おりがみ 図形と幾何学 Origami figurlich und geometrisch Augustus刊」の中で紹介させてもらったが、今でも時々この(無限折り)を楽しませてもらっているんですよ。 


 写真左上が「無限折り」のオリジナル形。それを反転して立体化してみたというわけ。皆さんも折ってごらんなさい。おりがみの楽しさが満喫できますよ。


 

2021/07/19

女王クレオパトラの横顔!

とうとう!!!

 このブログの始まりの方の頃で、「おりがみで、エジプトの女王クレオパトラが折れたら、もうおりがみ卒業だ!」なんて軽口をたたきましたが、あれれれれ どうしましょうか!

 それが手の上に現れてしまった! そしてそれは、私自身充分満足の行く表情で取り出せたのですね。でも前項で言いましたように、当初私はただ単純に、魅力的な「女性の横顔」が欲しかったのでしたのに。

 そこで、その最初の希望にちょっぴり色を付けて、ふふふっ…「女性の裸の胸像」もやってみました。

 なお女性の全身の裸像は、ずっと若い頃「ビーナス像=イブ像とも」として試みており、知る人ぞ知る、英文の著書に紹介していますよ。

 まあ講釈はともかくどうぞご笑覧ください。

 男女平等の社会と信じて生きて来た者とて、男性の全身裸像「アダム像」も公表していますよ。 おっと、イブはアダムのあばら骨から作られたって? まあ、おとぎ話にせよ、それって男尊女卑の意識からとしか思えませんがねえ。








ちょっとテーマイメージが薄れましたので、少々の休憩タイムを置きます。

2021/07/15

コロナ禍の中で、奇跡的に傑作が!

「雪女」が手の上に!…そしてなんと!!!

 350年余り前に起こったというペスト菌によるパンデミックは、今よりもっと人々を恐怖に追いやったことでしょうが、それが一応の収束となるまでに1年3ヶ月の時間が掛かったそうですね。そこで私は素人の思いにて、今年の3月にはなんとか、なんて思って人にも言ってきましたが、4月が過ぎて5月になって、6月になって、7月になっても、ああまだですね。

 しかしそんな4月に、なんとなくおり紙をもてあそんでいたら、おっ!これはこれは!…なんと「雪女」の姿が生まれ出てきました!

 この雪女というテーマについては、昔、小林正樹監督が、小泉八雲(ラフカデオ・ハーン)のオムニバス小説「怪談」の中から、四つの話を選んで映像化した中に、岸恵子さんの演ずる「雪女」があって、それに魅了され、おりがみに出来たらなあ!と心に温めていたものです。

 それが今ひょっこり手の上に現れた! でもただしそれは「折り雛」と同じく目鼻の表現は無いものです。それでも私はうれしかった。がここで欲が出て、女性の顔を描きたいものだ!と思ったら、これまた勝手に手が動き、女性らしい目鼻が現れてきたのです。

 かくてここからはもう夢中でイメージを駆り立てて、美しい女性のプロフィールを手にしました! (顔)と(髪の毛)との(2枚複合)の手法です。 が、ここでまた新たな欲が湧いてきて、ここでの(髪の毛)を(王冠)のような形に変えたら、あっあっ!「クレオパトラのプロフィール」が!

 いやまず今回は、「雪女」を下に写真紹介します。 もしかして高い鑑識眼をお持ちのあなたには、『どうってことないな。』と言われるかも知れませんが、私自身は大満足です。人の評価などどうでもいい!




2021/07/11

魚のキューブの話

(鷹の羽模様)の「ユニット・キューブ」から

 写真のようなパターンの「ユニット・キューブ(6枚組み)」を見付け、これに(鷹の羽)のイメージを得た。しかしどうもそれだけではインパクトが弱いと思い、このパターンに(濃い色の面での増・減)を加えてみようとのアイデアを得た。



 その結果が(金魚)であり(インディオの魚)との二種の「魚」のイメージだ。その二つの実際が次の写真だが、「金魚のキューブ」では自然に12匹が現れるが、「インディオの魚のキューブ」 では、当初どうしても6匹しか表せなかった。

 ともあれ、(鷹の羽)からのデザイン面での増減が(金魚)と(インディオの魚)とのイメージ変化を生んだところを見て欲しい。



 話を戻し、思い付いたことに拘って6匹では諦めず、大いに粘って金魚と同じ12匹のパターンを得た。が、この間には実に2年の時間が流れていた! 単純なくふうを好む私としては珍しいことだ。でもまあそれだけに愛着のある作品だ。ところで皆さん、(インディオの魚)って、ちょっと変なタイトルでしょう。(伝承の作例から「大口魚のキューブ」とも呼んでいますが。)



 私は、インカやマヤの絵文字のデザインに魅了され、この魚のパターンが、そんな絵文字の中のそれに似て見えたからの題名です。皆さんは、もっと深い意味を想像されたかも知れませんが、単純な理由なんですよ。 

2021/07/07

中国テレビドラマ「三国志」のこと

私の好きな中国の3人の映画監督のこと

 陳 凱歌(チェン・カイコー)、張 芸謀(チャン・イーモー)、そして高 希希(ガオ・シーシー)がその方々。

 まあそれぞれが見事な作品を多く作っておられて、それぞれに感動させられますが、今回はガオ・シーシー監督の「三国志」の感動について語らせていただこうと思います。

 この90数時間に及ぶ大長編ドラマは、ずっと前テレビ放映されたとき、わくわくして夫婦で見ましたが、今回息子のおかげで、パソコンにて再見することが出来、ますます好きになりました。

 何しろキャストがいい! 曹操(チャン・ジェンピン)、孫権(チャン・ポー)、劉備(ユー・ホーウェイ)、諸葛亮(ルー・イー)、周瑜(ビクター・ホアン)、関羽(ユー・ロングアン)、張飛(カン・カイ)、呂布(ピーター・ホー)、趙雲(ニェ・ユエン)、馬超(チャン・イーリン)、曹丕(ユー・ピン)、司馬懿(ニー・ダーホン)、…まあこの映画を通して知った俳優が大半ですが、ともかくすべて吾がイメージ通りのキャラクターが選ばれている。そして英雄豪傑たちの強さだけでなく、弱点やいやらしさも見事に描いている! つまり紙芝居ではまったくない、リアリティーある歴史絵巻だ。

 「三国志」との歴史物語を初めて知ったのは、高校生の頃、吉川英治の作品においてで、そこでの主役は漢帝国の再興を願う劉備玄徳(りゅうび げんとく)だった。が、ガオ・シーシー監督では、実質的に三國の覇者となった魏の曹操孟徳(そうそう もうとく)が主役だ(この原作は羅 貫中)。

 まあこんな言い方は間違いで、歴史群像と呼ぶのが正しいのだろうが、やはり最も監督の情熱が強く感じられるのが、曹操のように思えるのですね。そして私の思いは、それにより大いに変化させられた。 

 曹操は狡賢くて、姦雄なんて言うのが一般的だが、すごく人間臭い魅力的な英雄だ。そして詩人でもあったそうな。そして赤壁の戦い以外にも幾度か敗戦をする。まあ皆さんにこんな話は無用。

 私がここで紹介したかったのはガオ・シーシーという、ちょっと楽しい響のお名前と共に、その見事な監督ぶりのこと。

 なおこの後で監督された「項羽と劉邦」も素晴らしかった。「三国志」で呂布を演じたピーター・ホーが項羽の役をやっている。呂布のときは並外れた豪傑だが、自信過剰でトロい面もあるところを、実にうまく演じていた。が、項羽となると一変し、かみそりのような研ぎ澄まされた性格を見事に演じていた。1トン余の石の鼎を片手で持ち上げるシーンは圧巻だ! 

 なお女性に弱いところは共通で、呂布のときは貂蟬(ちょうせん、テェン・ハオ)、項羽のときは虞姫(ぐひ、リー・イーシャオ)という絶世の美女だ。二人の女優さんも実に美しく、どちらのカップルもよかったー! なお劉邦は、チャン・ダオミンという私も知っていた名優が演じた。

 まあ映画好きの身には、その感動を語りたいんですよね。ただそれだけです。




 この映画にはおびただしい数の馬(多くはCGかな?)が戦闘場面になると登場し、その迫力は圧倒的だが、中でも呂布の愛馬(赤兎馬 せきとば)はすごい! 呂布から曹操のものとなり、それから曹操が畏敬する関羽に譲られ、大活躍をする。馬は地上で最も美しい生命と思う私は、おりがみでくふうするときは、いつでも心から楽しんでいますよ。


  

2021/07/03

内山興正先生との最後の思い出

「コマ」の中心

 それは1994年、滋賀県大津の成安大学にて行われた「第二回国際おりがみ集会」に参加の後のこと。ドイツ在のブラジル人パウロ・ムラチンヨさんとドイツ人で彼の奥さんジルケ・シュレーデルさん、そしてオランダ在のポルトガル人、パウロ・タボルダ・バレットさん(Mr.PauloTaborda Barreto)の3人をお誘いして、内山先生のところをお訪ねしました。

 こころよくお迎えくださったのですが、驚いたのはそこに奥様がいらっしゃったことです。でもそれは本当に嬉しい驚きでした。

 いろいろと哲学的なお話をしてくださり、通訳を促されるも、高度な説話はまったく通訳など出来ず、冷や汗をかきましたが、3人はとてもスマートな人達とて、その場の雰囲気で多くを察して、私の語学能力の程度を理解してくれたようです。アルコールが入ると、蛮勇が出てしゃべりますが、シラフのときは、まるでボンクラ!

 そしてこのとき、最新のくふうだとおっしゃって、(おりがみのコマ)をプレントしてくださると共に、それを回しながらこんなお話をしてくださいました。

『ほら、この通りよく回るでしょう! コマって”独楽(どくらく)”って書くでしょう。だから一人で回して楽しんでいるんですよ。はっはっは。 ところでね、ここで回っていないものがありますがわかりますか? それ(コマの中心)ですね。

 さて私は仏様の教えに従って生活しているだけで、食べ物も住む家も、ぜんぶひと様に支えて頂いて生きているわけですが、そのことを少しも恥じたりはしません。

 すなわち私の心はこのコマの中心のように、不動でいられるんです。私が仏様の教えを不動の心で人々にお伝えすることで、皆さまが忙しく回ってくださって、私の不動心を援助してくださっているのです。』 

 これが内山先生との最後の思い出なんです。なおブラジル人の方のパウロさん、彼は写真の腕はプロ級でして、そんな彼ががたくさん撮ってくれた師との(ツーショット)は、私の宝ものです。



 なお別れ際師は、『私はもうおりがみの方の活動をする時間がありません。で、おりがみについては、あなたに衣鉢(いはつ)を託します。』とおしゃられた。
 このことは、3人に帰り道「師からおりがみのバトンをタッチされた」と話したら、3人揃って握手してくれました。でも具体的には何をすればいいのか? 今尚分からない。
 こんなブログをやることがそれに当たるのかな? なんて思っています。