2020/03/08

離合集散

去って行く人、邂逅する人

 これはどなたも同じだろうと思うが、付き合いを止めて去って行く人があれば、入れ替わるように新らたに邂逅する人があり、「ああ人生って、まったく離合集散の繰り返しなんだなあ!」としみじみと思う。あなたはそんなふうに思いませんか?
 そしていつまでも変わらず接してくれる人が、友なのだと思う。友とは、例え一時口争いなどをしようとも、お互いの心に強い友情と敬意があれば、必ず還って来る。そう信じている。

 さて令和という新たな年号を迎えて、長年続けて来た(年賀状)を止めることにした。例年、いただいた年賀状に対し、元日の朝、酒をゆっくりと飲みながら、一人一人の顔を思い浮かべて、手書きで年賀を書いて来た。

 ただこの作業のとき、ぜひともほしいのが「酢タコ」で、3年前までは暮にはそれが買えたが、…何ですか、この「タコ」が(獲り過ぎ)で不漁になってしまったとかで、値がすごく高騰し続け、一昨年はその販売すらも無くなっていて、それでもうがっかりとして、上記の決断となった!? だから、万年筆のインクも、毛筆ペンも買わなかった。これ、(タコ墨)からの連想としての判断ね?!

 加えて、良き先輩も、多くの友たちも居なくなったこの頃。かくて年賀状のための金は、もう必要なしとて酒に費消した。まあ、このことで、嫌う人は嫌ってちょうだいだ。

 人徳の低さからか、心から楽しく語らえる、友と呼んで良い人はとても少ない。でもそんな数少ない付き合いの人と、1年に1、2度でも、利害を離れて語り合えたときは本当に嬉しい。
 そんな嬉しい会話で、先日会えて語った友人との話題の一つが、言葉の大切さだった。「初めに言葉あり。言葉は神と共にあり。…これっていい言葉だねえ。」その言葉を紙の上に記したものが本。そしてその本の仕事が出版。その本の出版が危機的状況に在る!

 パソコン、スマホ。私など夢にも想像出来なかったような、魔法のようなことを見せてくれる電子機器が今や世に氾濫し、我々の目と耳と心を釘付けにしている。かくて本など重くて嵩張るものは、少なくとも若い人たちにはすっかり敬遠される。

 でもそんな電子機器たちの発明のおかげで、諸々の謎がすごい勢いで解明への光を得ているようだ。(そんなことまで解明してくれたって、嬉しさは実感出来ないよ。…本音)

(素粒子コンピューター)だの(11次元での宇宙論)だの(ゲノムの解明)だの、私なんかの思考の範囲を超える思案のあれこれを聞くと、一方でそんな迂遠なこと知ってどうなる?と思うが、そのときです! 藤田先生の(GOK=知るだけで良し)の教えを思い返すのです。…そうは思っても、出版不況はこの上なく辛くて寂しい現実だ。だって私は、これを職業として来た者だからですよ。(かくて今はご隠居さんね。)

 なんですか、若い人たちの多くは、(動画)でしか諸々を理解しないとか!?『言葉(=文字)は、神なり。』は、もう遠い夢の話となっているのですか!

 あと何年、何日の時間が残っているのか知らないが、新しい話を聞き、学び、役に立てることなどなかろうとも、まったく気にしないで心を満たして行こうと思う。

 信州の友人、成田さんが、今年の干支に
かけてか坂城町の名物との「ねずみだいこ
ん」という、辛みの強いものを送ってきて
くれた(写真)。初めて見るものとて、ま
 ずはパチリ。自然の造形って本当に楽しい!
  ジャコと大根おろしでいただきまーすっ。


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