ある日のこと、とても奇妙な話を、はるか空の彼方からの声として聞きました!
それは、…『縄文人は(おりがみ、いえ、“折り葉遊び”)を知っていて、5000年前の頃、大きな木の葉を四角に切って、なんと!「キューブ」を折っていたよ。』という話なのです!
それは、…『縄文人は(おりがみ、いえ、“折り葉遊び”)を知っていて、5000年前の頃、大きな木の葉を四角に切って、なんと!「キューブ」を折っていたよ。』という話なのです!
続いて、『その縄文人が折ったキューブが、風に飛ばされて泥の中に落ち、…それが泥に埋もれ続け、なんと5千年の後に発見されたが、相次ぐ地殻変動からそれはねじられた形の(化石)となって掘り出されたよ。』…とまあ、そんな幼稚なヨタ話は置いておくとして、…でもそんな話を彷彿とさせる造形を得たので、ご紹介しましょう。
ところで(縄文人)は、支配欲とか権力欲など夢にも欲しなかった故に、1万年の平穏を保てたのでしょう。ところが、縄文人には無縁のそんな欲望の大襲来に、多くは巻き込まれてしまったのでしょう。
けれど、そんな欲望の襲来から身をかわし、自然への畏敬のみを縁(よすが)として、平穏を望む一部の人々は、北の大地や南の島や、中央の山連なる地や、東北の雪も緑も深き地などに去って行った、というのが私の心に思い浮かべられる情景です。
そんな妄想から、…今現代社会に属して生きる私たちの多くは、(弥生人)の末裔なのだろうとも思えます。 それ故に様々な欲望に苛まれて生きています。 黙っていれば、また服装の違いなどを見なければ、アジア人は外見はよく似ていて、一瞥して「◯◯人」と識別出来ませんよね。…ということは、同じアジア人である韓国、朝鮮や中国の人たちとの摩擦は(身内の諍い)ということになるように思われてしまう!?
いえもっと視野を広げれば、歴史の秘密を追求する作家、加治将一(かじ まさかず)氏の慧眼にては、血脈は遠く西方に在った「エデンの園」まで繋がるかも知れない?!
ならば昔テレビコマーシャルでよく聞いた気がする、『世界は一家、人類はみな兄弟』
の言葉に真実を見るように思えます! おっとこの後に続く言葉は『さあ、みんな仲良くしましょう。』だった? なんのコマーシャルだったかは忘れましたが、確か笹川良一という(競艇)に関係する不思議な人物の言葉だったような記憶ですが、この人物がどんな人であれ、上記の言葉には、縄文人的な希望の良き香りを感じましたよ!
歴史の真実って、縄文人の末裔でありたい!と望む私などからは、妄想のそのまた妄想でしか想像できませんから、まるで何も見えないのと同じ。 しかし、そのように“見えない”ことこそ幸いなのかも知れません。
「キューブの化石」と題したオブジェ作例。 なお下の台座は、シルバー矩形の紙からの 作例で、(「玉手箱」諸形)の項でご紹介 したものです。中心部に飾りピンが差せて、 ほら!(飾り台)としていい感じでしょっ。 |
私の(個人史)の話の中で、学生から社会人に成り立てまでの青年時代、「河合豊彰という先輩の“追っかけ”をした。」との話をしましたが、ある日河合さんにお会いしているとき、『先日、岡本太郎さんと美術雑誌のための対談をしたときにね、私に「あんたはすごいよ。1枚の紙でなんでも表現しちゃうんだから!」と、褒めてもらったのよ。』とおっしゃいました。
さて近頃、大阪万博の「太陽の塔」がその内部展示物を復活させ、新たに公開されることとなり、岡本太郎さんの深いメッセージがまた話題になって、それで河合さんのことも思い出されたのですが、…河合さんは(おりがみの面)というジャンルを大いに開拓された方でして、「マスクのカワイ」がよく知られた呼称でした。
そして岡本太郎という芸術家の情熱は、「縄文人の心の復活」を叫ぶことに向かい、…そしてそのことから、古代人や自然の中で暮らす人々の、(降神)のための手段でもある「面」というものにも多大の関心を寄せられ、…そんな視点から河合さんへも評価を向けられたのでしょう。
縄文人、面、岡本太郎さん、河合豊彰さん、…なんだか(ああ、我が意を得たり!)と思えるこの頃です。
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