2020/03/25

おりがみ造形とリアル。

写真の発明

 目に見える万物を紙の上に忠実に写し留める。そんな願望から発明された写真の技術。凄い発明ですね! 具体的には(レンズカメラ)と(フィルム)それから(照明法)等。
 そのような諸々の発明が、(天才)と呼ぶべき人たちによって成され、私たちへの大きな恩恵に成っている。

 そして今はこれがさらに進化した(デジタルカメラ)になって、フィルムや現像、焼き付けなどの面倒を追いやった! そんな驚異を生み出す天才たちが、まあ泉のように湧き出している現代! こんな時代を経験出来るなど、青年期には夢にも思わなかった。

 話はぽんっと飛びますが、「ミラノの聖骸布(せいがいふ)」というものが有るそうです。キリストの遺骸を包んでいた布に、キリストの顔が写し出されていた!ーその発見当初は、そんな衝撃的な話だったようです。

 でもそれは、実はレオナルド・ダ・ヴィンチの作品(!)で、そのキリストの顔と言われていたものは、彼自身の顔を、最初期の画家用のカメラ(カメラ・オブスクラ)にて写し取ったものらしいそうだ!
 レオナルド研究者が調べて判明した事実なのだとか。…いやっー!楽しい話ですね。

 レオナルドという天才は、ユーモアのセンスもあったと思うと、嬉しくなりませんか?

 さて、レオナルド・ダ・ヴィンチのいたずら心(?)の根底には、「リアル(real)ってなんだ?」の問い掛けがあるみたいに思います。『イエス・キリストって、本当はどんな存在だったのだろう?』ーそんな歴史のリアルへの問い掛けか?

 人体の骨格や臓器は勿論、筋肉や血管の様子まで、完璧にリアルにスケッチしている。
それは、現代の外科医の目から見ても、正にリアルそのものだそうだ。加えて(水の流れる様子の観察)からの推理か、絶対に見られた筈の無い(心臓部の血液の流れる姿)までリアルにスケッチしていて、心臓外科の権威をびっくりさせた!

 何故そこまで肉体の仕組み解明に、猛烈な探求を成したのだろう? そこにはまたやはりキリストの姿が浮かんで来るように思えてしまう。つまり(神の子)とされるキリストは、ふつうの人間と肉体的にどこか違っていたのだろうか?ーレオナルド・ダ・ヴィンチはそんなことを問い掛けているように思われてならない。

 するとそれは、いたずらなんかではなく、きわめて真剣な問い掛けだ!

 作家ダン・ブラウン(Dan Brown)の世界的ベストセラー「ダ・ヴィンチ・コード(The Da Vinci Code)」では、聖杯(= Sangreal)伝説からキリストのリアルな実像を見事に解き明かしている。お読みになると、きっと深く頷かれることだろう。

 ところで、「写真=photograph」という完璧な写実技術の発見に対して、その後において、絵画表現を成す芸術家たちは、いろいろな手法で対処しようとして来たようだ。


 いやはや大層な話から始まって、それを(おりがみの世界)に当て嵌めるのは、いささか無謀かも知れないが、でもリアリズム(=realism)の考えは、当然おりがみの世界でも論考されたのではないだろうか?
 だって冒頭にて言った「目に見える万物を紙の上に忠実に写し留める。」は、おりがみの願望でもあるからだ。

 ところがおりがみ世界では、このリアルを、ちょっと異なるスタイルで考えたように思える。それはー?

 先達(せんだつ=pioneer)の方々が主張された(不切正方形1枚折り)の理想が、私にはその一つだと思えてならない。あるいはそれが、どこかで写真への対抗意識だったようにも思われる。

『一枚の紙からただ折るだけで、何から何まで対象物そっくりに表現してみせる!』との意志だが、…でもおりがみの造形は、どんなに精密に折ろうと、忠実なリアルではなく、常にディフォルメ(変形=deform)を伴っている。

 つまり今の私は、そこに示された造形は、写真との対比でのリアルと考えたらそれは違うと思っている。それはむしろ折りの可能性を楽しむ、一つの遊びだと言ったらいいのではなかろうか。
 なおここでは、生物の姿を主体としての考えを述べる。すなわち「模様折り」や「ユニット」などは、ここでの考えには無いことはお断りしておく。

 言い方を変えてみよう。 おりがみのリアルとは、対象物の姿を形全体の比率や細部での“とがり部”の形状などにおいて、精密に折り描くことを目的としていて、しかもそれを(不切正方形1枚折り)で実現しようと考えるのだから、それは、そう!(パズル遊びの感覚)と言っても間違いではなかろう。

 いずれにせよ、その考えの実践には、きわめて高級な頭脳で、パソコンを自由に駆使する技術が必要だろうから、私はてんから諦めている。そこで私は私なりの(別のリアル)を考えてみた。

 そして得た答えの一つが、前に紹介した「イメージ・ゲーム」で、(無作為に折ったものを“半開き状態”にしてみて、その造形がアピールするものと、脳内に蓄積している諸々のイメージとの照合で、そこにイメージの一致ということでのリアルさを求める)というくふう法だ。

 どのみちディフォルメが避けられないなら、それを極端なまで強調することで「紙から自然に引き出された表情(=expression)のリアリティー(=reality)を素直に示す」と、そう言うことだ。

 ジョン・レノン(John Lennon)は歌っていますよね。Love is real.  Real is love.…と。包み隠さないリアル(reality=真実=truth)とは、ああ、愛だったんですね!

 この(紙の表情)に、「猫」以外のイメージは
少なくとも私には考えられない。つまりはこれは
紙自体がアピールする(リアリティー)に他なら
ないと思っている。             

 表面的な造形にリアルを求めるのも一法だろうが、無作為の折りから生まれた造形にも巧まざる(表情のリアル)が有るのではなかろうか、とそんなふうに思っているのだ。

 いや、今回、まったく私に似合わぬ、ムズい話になってしまった。これは明らかに話題に窮した証しだ。

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