2019/03/06

祈りの姿

(偶像)とは違います。

 キリスト教の、様々に美しい(イコン Ikon)始め清楚な美術は、絵画から始まり、彫像として世界中で製作されてきました。きっと今でもどこかで製作されているのでしょう。
 仏教では(仏像)や(仏画)という宗教美術を無数と言える程に残しています。しかしイスラム教では、偶像は厳しく禁止されておりますね。でもモスクの中には、実に美しい(幾何学模様)をちりばめていますよね。

 さて私という者は、特定の信仰は持っておりません。でも(美しい形)や(祈りの姿)というものには、敬虔な思いを持って接している者です。
 だから、美しいと感じるキリスト教の絵画や彫刻、仏教の仏像彫刻、それらの(美)をおりがみ化したい!と望むわけです。

 大学で西洋哲学やキリスト教を学ばれ、その後仏教に得度されたと伺った内山先生に、「先生がおりがみで(仏像)や(マリア像)を作られたのを拝見し、魅了されました。そして自分でもくふうしてみたくなったのですが、信仰を持たない私が、仏像やキリスト像などをおりがみで折ってもいいものでしょうか?」とお尋ねしました。
 師は『気持ちを込めて折るなら、まったく何も気にすることではないですよ。』と微笑んで教えてくださいました。で、既にここまでに、仏像からキリストの像などを紹介してきましたね。

 ところで、おりがみ世界において、「祈る回教徒」という名作があります。(おりづるの基本形)から折るもので、スペインの哲学者ウナムノ(Unamuno)さんという方のお弟子さん(Pupil)の作品だそうです。そして私はそれにチャレンジしてみたのです。
 つまり、あくまでも(おりがみ世界)での行為であり、なおかつ偶像などではなく(祈る人の姿)を表現したものなんです。そして私は、(おりづるの基本形)より若干やさしい折り方の(ことりの基本形)からチャレンジしてみたのでした。

(ことりの基本形)からのくふう
で、「祈るイスラム教徒(Praying
     Muslim)」です。        
BOSの第2代会長であられた、ロバート・
ハービン(Robert Harbin)さんの著された、
「Paper Magic   The Art of Paper Folding   JOHN
MAXFIELD LIMITED  First Published 1956」
の中に紹介されている「祈る回教徒(THE
MOOR AT PRAYER)」です。      

訂正: 記憶ということが、本当に曖昧になってきています。認知?!
   前の項「パピルスのこと」で、私がサンフランシスコのPCOCにお招きいただいた
   のが、1999年と書いていますが、これ、2000年の誤りです。
    まあ、まったくどうでもいい話ではありますね。





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