2019/07/15

「花紋折り」

柳 宗理(やなぎ そうり)氏をも魅了したおりがみ

 前項でご紹介した雑誌「太陽」のおりがみ特集の中で、柳氏が魅了された「花紋折り」のことを、『…まったく内山道郎さん独自の発案…』との記述がありましたが、私はそれは少し違うのではないだろうか?と思っています。

 それは、ドイツ人で幼児教育の提唱者、フレーベルの(美麗式=Beautiful System)からの発想ではないだろうかと、そのようにも推測出来ると思うのです。

 すなわち、内山道郎氏は明治11年(1878)のお生まれです。その2年前に、フレーベルの幼稚園教育システムは日本に導入されており、(美麗式)も知られています。
 (美麗式)の、正方形だけでなく、正3角形、正5角形、正6角形、…と、用紙形を変化させて行くスタイルも、「花紋折り」に共通します。だから、内山道郎さんがこれをご存知だったと考えても無理ではないでしょう。

 でもまあ、そんな(真相追及)みたいなことは、(重箱の隅…)的な話かも知れませんね! おりがみの魅力とは、「象徴的でシンプルな、人の手の温もりが感じられる造形」だと私は思います。それで充分なことでしょう。「花紋折り」には、確実にそんな魅力が有ります。
 それからもう一点、「花紋折り」は(立体容器)も開発されており、その面からモダンです。でも、(美麗式)のパターンの大半も、やはり立体化出来てかわいい(入れ物)に成りますから、「花紋折り」と共通しますよね。

 さて、柳宗理(そうり、とお呼びしてきましたが、むねみちがご本名)さんのご尊父、柳宗悦(やなぎ むねよし=そうえつとも。)氏らが提唱、普及活動をされた(民芸)という言葉に込められた、(庶民が日常の中で親しんでいる物品で、素朴ながらしっかりとした技に支えられた表情豊かな造形物)との共通理念が、内山道郎氏の「花紋折り」の中にはっきりと見えたのでしょう。宗理さんの目に。

 そして、内山道郎氏がご自身の手で亡くなるまで折り続けられたと伺う、多数の「花紋折り」は、東京、駒場の日本民藝館に永久的に保存されているそうです。

 ともあれ、内山道郎氏という大きな存在を今改めて知り、そのプロフィールを私なりに紹介出来て、安堵しております。

 平凡社の雑誌「太陽」での(折り紙特集)より。
なお、この「花紋折り」の中に、光弘さんのアイデ
ア(ちりめん布のプリント模様)の紙が見えます。


 既に紹介済みの、光弘式「つる」。
足部がより分かり易いようにと考えて
 銀紙を裏返しに使って折ってみたもの。
ホイル紙だときれいに折れますね。

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